昭和50年4月15日 前夜祭 入力者松本正宏
昨夜、十二時頃こちらに出て参りましたが、まだ勝手のほうでは今日のお弁当作りをされる下ごしらえがあっておりました。もう本当に毎、事の事でございますから御用を頂いておる方達はもう今日あたりは、もうくたくたというところ。肝心要の明日の御大祭にそれこそ、御大祭は眠くてたまらんというような事であってはならないと思うですけれども、実は私も今日は少し裏の方を手伝わせて頂いて、各部屋の調度品が全部変わりました。掛け軸から置物から、まあ、その別に私がどうというわけじゃないけれども、色々指図を致しましたり、二三人の方に手伝って頂いてさせて頂いとりましたけれども、本当にこの御結界に御用をさせて頂いて、時間を何時間座らせて頂いてもこんなに疲れんのだけれども、今日は何かくたくたに疲れる。丁度おのお祭りを仕える前に一時間あるからちょっと一時間横にならせて頂いて、このお祭り。もう今日はとにかく疲れている。普通の疲れではない。何か疲れて仕方が無い。もう例えばそういうような状態であるならばです、まだまだ、髪を綺麗に洗いあげて、明日は綺麗に結い上げるという準備が出来ていない証拠ですから、これは私の心の中にもう一つ、ね、不思議にね、心の中に真に有り難いというものが感じられますと、体中の血が新たになる思いがするものです。
今日は御結界の御用ではなくて、裏の方のその、ただ今御用をさせてもろうて、まだ取り戻していないという感じです。皆さんの中にも明日いよいよ、それこそ生き生きとした有り難い喜びが心の中に一杯に広がって、ね、明日の御大祭が、本当に、神人、神様と私共がおめでとうを言い合い、有り難うをいいあい、感謝をしあい、拝みあえての御大祭が奉仕されるようなおかげを頂く為に私はまあ、今晩休ませて頂くまでに、ここで一つ取り戻しておかなければいけない。神様が今朝から沢山のシャンプーをお供えくださったという事は、この神を綺麗に濯ぎ、洗いあげさせて頂くそういう意味だという風に感じさせてもろうた。御用を頂いておる人は頂いておる人ほど疲れておる。本当を言うたら御用なのですから、頂けば頂く程有り難いものでなからなければならんのですけれども、やはり、人間心が働いて今日は疲れたというだけで明日を迎えたのでは相済みません。
どうとか明日までには心の中に有り難いものが蘇ってくるおかげ、お繰り合わせを私願わせてもらい、頂かなければならないと思います。皆さんもどうか、ね、毎日の御用奉仕お疲れのところでございましょうけれども、これを何とか、喜びに変えさせて頂けれる工夫をさせて頂いて、明日生き生きとした、有り難いお祭りを奉仕させて頂きたいと思います。今日はただ今から富久信会がございます。引き続いてございます。富久信会の方達の生き生きとした話でも聞かせて頂いて、一つ取り戻さなければならないと思います。
どうぞ宜しく御願いします。